
知っているようで、意外と知らないのがアジサイやハナショウブなど
初夏の花々のこと。身近なギモンをやさしく解説します。
初夏の花々のこと。身近なギモンをやさしく解説します。
花菖蒲、あやめ、杜若
どれも美しくて優劣つけがたいことを例えて「何(いず)れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」という。その言葉通りに、アヤメもカキツバタも、素人目にははなはだ区別しづらいもの。だが、生えているところを見れば、カキツバタやハナショウブの成育地が水辺や湿地なのに対し、(狭義の)アヤメだけは水辺でない山野だから、すぐに区別がつく。あれ、アヤメは水郷のイメージがあるけど? という疑問がわくが、実は、一般にアヤメといわれているのはハナショウブであることが多いのだ。似たものついでにいうと、5月の端午の節句の菖蒲湯に入れるショウブ(葉菖蒲)は、ハナショウブとは似ても似つかない花のサトイモ科ショウブ属の常緑多年草。もともとこちらが菖蒲の元祖で、ハナショウブの方が、菖蒲と葉が良く似ていることから名づけられた。
杜若と業平
アヤメやハナショウブと比べていまひとつ知名度は低いのがカキツバタだが、この花の名所といえば、愛知県知立市(ちりゅうし)の八橋(やつはし)にとどめをさす。ここは平安時代の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)が主人公の『伊勢物語』東下りの段で名高い場所。業平が、“かきつはた”の5文字を入れて詠んだ「唐衣(からごろも)きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」という和歌はあまりにも有名だ。ゆかりの地は現在「八橋かきつばた園」として整備され、4月27日から5月26日まで「史跡八橋かきつばたまつり」が行われている。業平のエピソードにちなんで知立市の花がカキツバタなのはもちろんだが、愛知県の県花もカキツバタと定められている。ちなみにカキツバタは杜若と漢字をあてるが、これは本来ヤブミョウガの漢名。誤ってカキツバタの漢名とされて今に至っている。アジサイの不思議
アジサイの花言葉は「移り気」。その花言葉通り、アジサイといえば七変化ともいわれるほど、花の色が変化に富むことで知られている。品種にもよるが、開花当初は薄緑だったものが、次第に淡い青から青紫、赤紫へと移り変わってゆく。ものの本によれば、土壌が酸性の時には花の青の発色が美しく、アルカリ性土壌の時には赤色が冴えるという。この小花の4片の花弁(花びら)に見えるのはじつは萼(ガク)。本来の花は、その中心にある粒状のごくごく小さなもの。アジサイは、一般の花々と比較しても花期は長いが、それも萼が長期にわたって残るためなのである。この花の良さは、咲き始めから花の盛りへ、さらに盛りをすぎても、その時々にちがった趣があることだ。そしていちばんの長所は、梅雨どきの雨模様で多くの花が痛んでゆく中、アジサイだけはますます美しさを増し、こちらの気分を明るく染め上げてくれることかもしれない。アジサイと日本文化
アジサイはれっきとした日本原産。にもかかわらず、日本の古典文学にはほとんど登場してこない。古今集から新古今集まで八代集に収載された和歌でアジサイを詠んだものは伝わっていない。『源氏物語』にも『枕草子』にも出てこない。アジサイの紫はどことなく王朝絵巻を想像するのだが、それは現代人の勝手な想像で、当時はまったく不人気だったらしいのだ。なんと、松尾芭蕉が詠むまで、めぼしい文学作品にアジサイは登場しなかったというのだから驚く。むしろアジサイの美を見いだしたのは日本人ではなくヨーロッパ人だった。ケンペルやシーボルトなどによって西洋に紹介されたアジサイは、東洋のバラなどともてはやされ、熱狂的に迎えられた。それが品種改良されて、ハイドランジア(セイヨウアジサイ)として、逆輸入される。ヨーロッパ文化に新風を吹き込み、ジャポニズムを生み出した浮世絵同様、アジサイもまた、西洋に発見されたのである。アジサイと古社寺
昨今、花の綺麗な寺が各地に出てきているのは喜ばしい。そのほとんどが戦後になってから植えられ、丹精されてここまで育ったものだ。アジサイやハナショウブといった初夏の花が見られる古寺を、京都、奈良、鎌倉から選んで紹介しよう。鎌倉でアジサイ寺といえば明月院(めいげついん)の名が浮かぶが、極楽寺にある成就院(じょうじゅいん)参道のアジサイもなかなかのもの。また長谷寺(はせでら)はいつ訪ねても花が咲き乱れているが、6月はアジサイやハナショウブが庭園の主役になる。
京都では伏見の藤森(ふじのもり)神社が有名。ここは境内にあじさい苑がある。宇治の三室戸寺(みむろとじ)は京都を代表するアジサイの名所として知られる。1万株ものアジサイが境内で花開くさまは圧巻。奈良では、 桜井市初瀬にある長谷寺や藤原鎌足を祭った多武峰(とうのみね)の談山(たんざん)神社がアジサイの名所として有名だ。

