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本書を編むために、『旅』編集部に保存されてある合本を丹念に読んでいった。
文字どおりセピアに変色した雑誌のページは、バラバラになりそうながらも、それぞれ当時のままに文字を連ねて、ひとつの雑誌として情報を今でも伝えてくれていた。
しかし、読んでいくのは楽しいが、とにかく膨大な量だった。鉄道とはあまり関係のなさそうなタイトルの記事でも、「ここに何か、鉄道と関わりのあるおもしろいことが書かれてあるのではないか」という思いもあって、ついつい読んでしまう。事実そういうもののなかから、「発見」あるいは「発掘」できた鉄道にまつわる記事もある。
何しろ、創刊から新幹線の開通まで、足かけ41年、計440号ぶん、根気と集中力と我慢で読み通した。関東大震災の翌年、昭和が始まるころから、高度成長が始まるころまでの記録なのだ。1号1号に筆者と編集者の思いがこもっている。ふと読むのをやめて、考えることがあった。
……大正時代でも、昭和初期でも、戦前でも、それぞれのその時代において――私たちが今こうして過去の『旅』の記事を読んでいるように――過去は見えた。しかし、未来のことは誰にも分からなかった。古い『旅』の記事にも、明るい未来を見ようとする気持ちが読めた。あるいは、未来が暗いことはわかっていながら、あえて現実から目を背けてしまおうとする弱気も読めた。ある歴史小説家の有名な言葉だが、私たちはまるで高いビルの上から俯瞰するように――その前の歴史もその後の歴史も知ったうえで――おのおのの時代の人びとの思いを、現代において見つめている。こうして過去の“古情報”を読むという試みには、だから少しのズルさのようなものがある。当時の編集者も筆者も、まさか21世紀になってから“古情報”として読まれるとは考えもしなかっただろう。
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