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箱根碓氷の鉄道物語を書き終えてわたしはほっとした。その時にある人のお墓を訪ねることを思い立って、出かけた。夏、真っ盛りのことだった。東京品川、東海寺境内は墓石と卒塔婆が林立するばかりで不気味なほど静まりかえっていた。と、とある墓の側に人影、ぎょっとする。が、お参りに来たお婆さんだった。「鉄道庁長官のお墓は知りませんか?」と聞くと、「沢庵和尚のは、ほれ、そのすぐそこだけど、う〜ん、鉄なんとかの人はわかりませんね」と。心もとない返答を耳に奥へと歩いて行く。すると崖下に湘南カラーの電車が通っているのが見えた。東海道本線だ。さらに歩いていくと左手大崎方向から墓地に食い込んできた新幹線線路が行く手をふさぐ。その行き当たりの所に墓はあった。新幹線や在来線の電車、鉄道風景が最もよく展望できる丘の上にあった。鉄道庁長官、井上勝は本人がそこへの埋葬を希望したようだ。ひっきりなしに右を左を電車が通る。品川方向を見ると林立する高層ビルが立ち並んでいる。その方向に向かって700系「のぞみ」が滑るように風を切ってゆく。まさに現代の風景である。
その場所は品川駅と大井町駅の間の切り通しだ。眼下に走る線路は日本でもっとも古い路線だった。明治五年(1872)かつてここを一号機関車が客車を引いて走った。そのことが当時の社会に電撃的とも言えるほどの変化をもたらしたのだった。この鉄道が西の京都へ、北の直江津へと伸びて行った。その工事は箱根、碓氷という難関にぶつかった。しかし、この峠を越したことの意味は大きい。峠越えは、科学的技術的な課題とともに、狸や狐という妖怪問題をあぶりだした。それらを踏み越えることで近代化への道筋が切り拓かれたと思うのである。
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