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出席:満田 禮(故満田新一郎夫人)
:満田 冠(長男)
:森上朱々子(長女)
進行:満田恒春(次男)
恒春:今回、親父の貴重な写真が「写真集」となって発売されることになったのですが、当時の背景などから話してください。私はまだ生まれる前の話なので、個人的にも是非聞きたい。
禮:結婚するずっと前から新一郎は趣味として、いろいろな写真を撮っていたようよ。新婚旅行に二眼レフを持ってきたのを覚えているわ。その後、冠が生まれ朱々子が生まれて、その頃から一眼レフ(35mm)に変わり、カラーフィルムが出ると、撮影対象にバスが加わったの。
恒春:それまではバスは撮っていなかった?
禮:鉄道が中心だったのよ。カラフルなバスはカラーフィルムに撮影するのが楽しかったみたい。「どこどこバスの色がいい」とか「カラーデザインが面白い」とか、撮影してきた写真を私たちに見せながら、よく話していたわ。
恒春:撮影旅行はどのようなかたちで行っていたの?
禮:その頃は今みたいに簡単に「撮影に行く」と旅行ができる時代ではなかったのよ。会社の出張、社員旅行といった機会や、家族で行く夏休みの旅行の時などに撮影していたようよ。
(中略)
恒春:今と違ってなんの情報もない時代に、どうしてこれまでのコレクションが出来たのかと、バス研究の方々が不思議に思うほど、バスの車種、バス会社ともに網羅されているようなのだけれど。
禮:当時、わが家には電話がなかったので、うちから問合せをしているのは見たことがなかったわ。ただ出版社という職業柄、会社には情報があったのかもしれないわね。
恒春:ひとつ残念なのはドア側の写真ならば…という声があるんだけど。
冠:それは車道側から撮ったほうが、街路樹の陰などに悩まされず、光線の当たった写真が撮れることと、ドア側はラインがドアによって途切れるためデザインが壊れると考えていたようだよ。「ドアは凹んでいるから」と言っていたような覚えがある。
(中略)
恒春:この当時はカラーフィルムも希少で高価だったんだよね。
禮:そうね。普段は金額なんて気にしない人だけど、それでもフィルムは相当高かったらしく、ひとコマひとコマ丁寧に撮影していたわ。
朱々子:撮り終わると、郵便局まで持っていったんだよね。
禮:その当時はコダクロームは国内で現像できずに、船便でニューヨークに送っていてね。だから現像に出してから帰ってくるまで2カ月かかるのよ。4コマ並ぶ箱で20枚撮り1本出したときはこれくらい(1.5cmくらい)2本出したときにはこれくらい(2.5cmくらい)の黄色い箱に入って帰ってきたの。
冠:通関証が箱についてきたよね。(箱が出てきて)あ、これこれ、ほら「通関料徴収48円」って書いてある。
禮:だから現像料も高かったんじゃないかしら(*当時は現像料込みでフィルムを販売していたが、送料・通関料は別)。
(中略)
朱々子:こうしてみるとお父さんも沢山撮ったよね。
禮:そうね、これだけ撮るのって、フィルム代もすごいけど、旅費もすごいわね。それを自己満足のために費やしていたんだから、最高の贅沢ですよ。でも、それがこうして素晴らしい解説をつけていただいて、立派な本になるんだから有り難いことです。
朱々子:あのワンマンなお父さんについて行ってたんだから、私たちもすごいよね。
恒春:昭和30年代はバスの黄金時代だったけど、父親の威厳の黄金時代でもあったんだね。
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